地図なき人生の足あと

「旅×仕事×暮らし」を自由にデザインするノート

【最新】エチオピア旅行記

ティグレのアブナ・イェマタ・グー教会の外観

断崖絶壁に建つティグレの岩窟教会|紛争の記憶が眠る道を歩く

「世界でもっとも到達困難な教会」と呼ばれるその場所は、観光地というよりも、何かに試されるような場だった。エチオピア北部、ティグレ地方にある「崖の上の教会」は、私の心を強く揺さぶった。 断崖をよじ登り、素手と裸足で岩をつかみながら、谷底を背に一歩ずつ進む。頂にたどり着いたとき、そこにあったのは、石で造られた小さな教会だった。 そのときの私は、まだ何も知らなかった。この教会があるティグレ州が、つい最近まで激しい紛争の舞台だったことも。人々がどれほどの痛みと沈黙の中にいたのかも。いや、知らなかったというより「気 …

アディスアベバの街並み

誕生日を祝われたことがない青年と歩いたアディスアベバの一日

アディスアベバの空港に降り立ったとき、私はこの街についてほとんど何も知らなかった。エチオピアの首都、標高2,400メートル、発展する都市。そんな断片的な情報だけが頭にあった。 街を案内してくれたのは、現地ツアー会社の若いガイドの青年。最初はどこにでもいるスタッフのひとりだと思っていた。だが、いくつか会話を交わすうちに、彼の過去が少しずつ見えてきた。 かつてナイトクラブで働き、薬に手を出したこともあるという。それでも今はガイドとして真面目に働き、得た収入で大学に通っている。そんな彼が、ふと口にした。「誕生日 …

エチオピアのアディスアベバで買った抗生物質

エチオピアで買った抗生物質|正しさと現実のあいだで私は揺れた

エチオピアで腹を壊した。生肉を食べたあとだった。腹痛だけでなく、熱もめまいもあった。持ってきた市販薬はまるで効かず、横になっていても苦しかった。 タクシーを呼び、近くの薬屋へ向かった。いくつか症状を聞かれたあと、処方箋なしで抗生物質が出てきた。薬剤師なのかどうかもわからない。でも、言われるがままに買って飲むと、数日後には体調が戻った。 ただ、それで終わりではなかった。助かったのに、どこか引っかかった。 街の薬局で薬を買った経験 薬屋は小さな店だった。看板には薬の名前が並んでいたが、外から見ただけでは営業し …

エチオピアの生肉文化とインジェラ

エチオピアの食文化に身を委ねて|インジェラと生肉、そして体が限界を教えてくれた日

エチオピアを旅していた2週間、私は現地の食文化にできるかぎり身を委ねようとしていた。見慣れない主食インジェラ、儀式のように始まるコーヒーセレモニー、そして牛やヤギの生肉。どれもが新鮮で、深くて、時に強烈だった。 私は好き嫌いがほとんどない。海外でも現地の料理を受け入れることに、これまで大きな壁を感じたことはなかった。けれど今回、食べ続けるという行為のなかで、気づかぬうちに疲れが蓄積していた。味の問題でも文化の問題でもない。ただ、自分のリズムが少しずつ狂っていく感覚──それは、身体の奥から静かにやってきた。 …

アディスアベバの街並み

「貧困」と思った瞬間、私の視点は曇った|アディスアベバで出会った少年たち

アディスアベバの街角で、少年たちが近寄ってきた。手には使い込まれたブラシと布。私の靴をじっと見つめ、靴を磨くジェスチャーをする。 私は首を横に振り、その場を離れた。関わると面倒だから。旅先ではよくあることだから。そう言い聞かせながら、心のどこかで「貧しい子どもたちが気の毒だ」と思っていた。 それが間違いだったとは思わない。でも、あの瞬間、彼らを「貧困」とラベリングして距離を置いた自分がいた。あのときの選択の裏に、自分の限界があったことは否定できない。 都市開発の裏にある見えない記憶 アディスアベバの第一印 …

エチオピアのダナキル砂漠に向かう道

トラブルと交渉、エチオピアのツアーで起きた本当のこと

旅先でのトラブルは、できれば避けたいもの。 けれど、それが現地の人との関係を変えることもある。そう感じさせられたのが、エチオピアでの体験だった。 飛行機の欠航に始まり、ツアー会社とのすれ違い、言い争い、そして予期せぬ展開の連続。旅の途中では、怒りや戸惑いもあった。 それでも、最後に残ったのは、不思議なほどあたたかい感情だった。言葉の壁を越えて、お互いの気持ちが見えた瞬間もあったと思う。 これは、私がエチオピアで出会った、すこし風変わりで、でも確かに人間味あふれた旅の記録です。 旅の歯車が狂いはじめた朝 旅 …

ダナキル砂漠の地熱地帯。生命の不在を感じる景色

ダナキル砂漠は「正しさ」を壊す場所だった|火口・塩湖・地熱地帯の3日間

エチオピアの北東部、ダナキル砂漠。世界でもっとも過酷な土地のひとつと言われ、灼熱の大地に火口と塩湖、そして毒々しい地熱地帯が広がっている。 この場所の名を知ったのは、世界一周の準備をしていたときだった。頭ではなく体が、ここへ行けと言っていた。 なぜこの場所だったのか。なぜ、火口の縁に立ち、塩の湖に浮かび、色彩が狂ったような世界に身を投じたのか。たぶん私は、ただ美しい風景を見たかったわけではない。もっと深いところで、何かを壊したくて、ほどきたくて、ここに来たのだと思う。 最初に選んだのは、自分を壊せる場所だ …