誕生日を祝われたことがない青年と歩いたアディスアベバの一日

アディスアベバの街並み

アディスアベバの空港に降り立ったとき、私はこの街についてほとんど何も知らなかった。
エチオピアの首都、標高2,400メートル、発展する都市。そんな断片的な情報だけが頭にあった。

街を案内してくれたのは、現地ツアー会社の若いガイドの青年。最初はどこにでもいるスタッフのひとりだと思っていた。だが、いくつか会話を交わすうちに、彼の過去が少しずつ見えてきた。

かつてナイトクラブで働き、薬に手を出したこともあるという。
それでも今はガイドとして真面目に働き、得た収入で大学に通っている。
そんな彼が、ふと口にした。「誕生日を祝ってもらったことなんてないなぁ」

その一言が、私の中に残った。
旅の中で出会う人々の背景には、語られない物語がある。
私は彼とともに、大聖堂や博物館、山や市場を巡った。でも、記憶に残ったのは景色ではなかった。

あの一日は、都市を歩く旅ではなく、ひとりの青年を通して世界を見直す時間だったのかもしれない。

信仰の風景と、都市の輪郭

信仰と都市が同居するアディスアベバの街並み

アディスアベバを歩いていると、宗教がこの街にどれほど深く根づいているかを感じる。近代的なビルの並ぶ通りを少し外れると、白い衣をまとった人々が礼拝に向かっていたり、街角で祈りを捧げている姿を見かける。信仰は建物の中に閉じこもっているものではなく、日常の中に息づいているようだった。

この日、私はガイドの青年とともに、聖三位一体大聖堂やエントト山といった場所を訪れた。そこには観光名所としての華やかさだけでなく、都市に生きる人々の祈りと生活のリズムがあった。そして、それらの風景を彼と一緒に歩いたことで、私はこの都市の姿をより立体的に感じるようになっていった。

信仰とは何か、都市とはどう形づくられているのか。答えを求めていたわけではなかったが、彼とともにいたことで、見える景色の奥行きが少しだけ変わった気がした。

聖三位一体大聖堂で眺めた、都市の祈りとにぎわい

アディスアベバの聖三位一体大聖堂

イースター前の金曜日、聖三位一体大聖堂の前は白い衣をまとった人々であふれていた。祈りの時間が終わったばかりなのか、広場では家族連れが談笑し、子どもたちは鳩を追いかけていた。重厚な石造りの建物と、静かに流れる祝祭の空気。その対比が印象的だった。

私はガイドの彼と一緒に、大聖堂の敷地内を歩いた。建物の中には、ハイレ・セラシエ1世とその皇后の棺が置かれていた。「隣で写真撮ろうよ!」深刻な歴史の場にいながらも、彼の話し方はどこか軽やかだった。

私はその言い方が少し意外だったが、同時に妙に安心もした。歴史を敬うだけではなく、自分の街として自然体で接しているように見えたからだ。彼にとってこの大聖堂は、観光地ではなく、いつもの街の風景のひとつなのかもしれない。

このときの私は、ただ一緒に観光を楽しんでいた。まだ彼の過去の話も聞いていなかった。ただ、遠くから響く鐘の音と、彼の歩調に合わせてゆっくり進むこの時間が、心地よかった。

エントト山から見下ろした街のかたち

エントト山から見下ろすアディスアベバの街並み

大聖堂を後にして、私たちはエントト山へ向かった。市内中心部から車でおよそ20分、標高3,000メートル近くまで登ると、アディスアベバの街が一望できる高台にたどり着く。

山道の途中には、僧侶や巡礼者の姿があった。ほとんどが白い布を身にまとい、静かに歩いている。道ばたでひざまずいて祈っている人もいる。そこには信仰という言葉では語りきれない、ある種の生活のにおいがあった。

彼は特に説明を加えることもなく、時折スマホで写真を撮ったりしながら、私と並んで歩いた。とても穏やかな表情だった。

山頂から見下ろす都市の風景は、広くて、複雑で、そして少し寂しかった。都市がひとつの大きな塊ではなく、いくつものエリアに分かれ、それぞれの区画に違う暮らしがあることが、上からだとよくわかる。彼がぽつりと「景色は好きだ」と言ったのは、そのときだった。

その言葉に特別な意味があったのかは分からない。でも、たしかにその瞬間、私は彼の視点でこの街を見ていた。

ガイドの青年が語ったこと

アディスアベバの観光ガイドと一緒に食事

この旅の中で、私は彼の案内によって多くの場所を訪れた。だが、それと同じくらい印象に残っているのは、彼が道すがら語ってくれた自分自身の話だった。

かつてナイトクラブで働いていたこと。薬に手を出したこと。そこからどうやって抜け出したのか。話しぶりは落ち着いていて、どこか他人事のようでもあったが、語られる内容は重かった。

それでも今、彼はガイドとしてきちんと働いている。そしてその収入で、大学に通っているという。過去を隠すことも、誇ることもせず、ただ事実として淡々と語る姿に、私は彼の強さを感じた。

彼の話を聞くたびに、この都市の別の層が見えてくる気がした。観光では届かない場所の風景を、彼の言葉が少しずつ描いていく。だから私は、観光地の写真よりも、彼の話を覚えているのかもしれない。

ナイトクラブと薬の過去、そして今

あるとき彼は、自分の過去について話し始めた。
「昔、ナイトクラブで働いてたんです。掃除とか片付けとか、夜の仕事。危ない場所でした」

彼はそう言って、少しだけ笑った。笑っているけれど、その目は冗談ではなかった。

「薬もやってました。友達の影響で。ちょっとだけですけど。でも、良くないって分かってたし、やめました」

その語り口はあくまで淡々としていて、まるで他人のことのようだった。でも、そこに嘘はなかった。

今の彼は、ガイドとして働きながら、大学に通っているという。毎日少しずつ働いて、そのお金で学費を払っている。エリートではないし、順風満帆でもない。でも、自分の力で進もうとしている。

私はその話を聞いて、特別なことを言うことができなかった。ただ、彼の目を見ながら、頷くしかなかった。彼の話は、過去の失敗の告白ではなく、「今」をどう生きているかという話だった。

「誕生日を祝ってもらったことがない」という一言

ツアーの合間、私はコーヒーを飲んでいた。一緒に飲もうと誘ったが、彼はコーヒーが好きではないと断った。
エチオピアのコーヒーは焼香を焚いている。私はこの香りが好きだ。そんな私を見て、「それ欲しい?プレゼントしようか?」と言った。
私は世界一周の途中だったため、断りつつその気持ちには感謝した。

そんな会話の中で彼は言った。
「そういえば、誕生日を祝ってもらったことなんてないなぁ」
その一言に、私は何も言えなかった。あまりにさらりと言ったので、最初は聞き流しそうになった。でも、その言葉は妙に頭に残った。

いままでエチオピアや日本のこと、仕事や遊びの話はたくさんした。でも彼の家族のこと、詳しい背景は聞かなかったし、彼も特に話そうとはしなかった。ただ、「祝ってもらったことがない」と言ったその口調に、感情のようなものはなかった。でも、だからこそ、私は考え込んでしまった。

踏み込めなかった私の一歩

何か渡そうかと思った。彼の所属するツアー会社とは縁が深く、翌日にオフィスに行く予定もあったから、ちょっとしたプレゼントを買って渡すこともできた。

けれど私は結局、何も渡さなかった。

それは優しさがなかったからではないし、興味がなかったわけでもない。
ただ、「何かを渡す」という行為の先にある、期待や関係の予感に、踏み込むことができなかった。

もしかするとそれは、「誠実さ」ではなく、ただの「逃げ」だったのかもしれない。
中途半端に関わって、何かを壊してしまうのが怖かったのかもしれない。
いや、そこまで責任を持てない自分がいることを、私は最初から分かっていた。

そういう関わり方をしたあとに残るのは、きっと相手ではなく、自分の感情だ。
だから私は、何も渡さなかった。

自分を守っただけなのかもしれない。

翌日ツアー会社に立ち寄り、彼の上司にツアーの素晴らしさを伝えつつ、ツアー料金と少し多めのチップを彼に渡した。それが感謝の気持ちではあったけれど、それが「贈り物」ではなかったことも確かだ。でも今でも、ときどき思う。あのとき何かを渡していたら、何かが変わっていただろうか、と。

博物館で触れた、国家の記憶と個人の声

アディスアベバ大学の敷地内にある民族学博物館

彼と一緒に街を歩いていたとき、私はある場所のことを思い出していた。彼と出会うより少し前、アディスアベバ大学の敷地内にある民族学博物館を訪れていた。

そこはかつて皇帝ハイレ・セラシエが暮らしていた宮殿で、館内には皇帝の私室や執務室、多民族国家エチオピアを象徴するような民俗資料が整然と並んでいた。
展示を見た当時は、自分の知らない世界の歴史に感嘆し、興味深く眺めていた。でも今になって、あの空間が伝えようとしていたのは「国家の記憶」だったのだと感じている。

ガラスケースの中にいない人生

民俗資料の展示は、エチオピアという多様な国の輪郭を掴ませてくれるものだった。王の暮らし、民族ごとの文化、整えられた過去。それらはこの国を確かに表していたし、空間としても完成度の高い展示だったと思う。

でもその一方で、私はふと考えてしまった。あの青年のような人の人生は、どこに記録されるのだろうかと。

ナイトクラブで働き、薬に手を出した過去を持ち、いまはガイドとして真面目に生きている彼。そうした人生は、文化財や史料のようには「残されない」かもしれない。でも、だからこそ私は、それを見たという実感を忘れたくないと思った。

彼のような人に出会えるから、旅は意味を持つ

旅は、語られないものと出会うためにあるのかもしれない。

博物館に展示されるのは、整えられた過去。
でも旅は、未整理の現在と出会う営みなのだと思う。

もし彼の人生を誰かが語るとしたら、それは私のような旅人なのかもしれない。
記録としてではなく、記憶として。
私はこの出会いを、私なりの方法で残したいと感じている。

関われなかった記憶としての旅

アディスアベバでは、いくつもの場所を訪れた。歴史的な教会も、山も、博物館も。それぞれがこの国の記憶を語る場所だった。

けれど旅が終わって思い返したとき、心に残っていたのは、建物や展示ではなかった。彼の話し方、静かな表情、そして「祝ってもらったことなんてないなぁ」というあの一言だった。

私は彼の人生に触れたわけではない。触れようとして、できなかった。
何かを渡せばよかったのかもしれない。けれど、それを渡すことで安易に関わることが怖かった。

私は都市を歩いていた。でも実際には、ずっと自分の距離感と向き合っていた。
「踏み込まない」という選択をしたまま、この旅は終わった。

だから私は今も、あのとき何ができたのかを考え続けている。
この旅の記憶は、関われなかったままの記憶として、私の中に残っている。少しの後悔と一緒に。