エチオピアの北東部、ダナキル砂漠。
世界でもっとも過酷な土地のひとつと言われ、灼熱の大地に火口と塩湖、そして毒々しい地熱地帯が広がっている。
この場所の名を知ったのは、世界一周の準備をしていたときだった。
頭ではなく体が、ここへ行けと言っていた。
なぜこの場所だったのか。なぜ、火口の縁に立ち、塩の湖に浮かび、色彩が狂ったような世界に身を投じたのか。
たぶん私は、ただ美しい風景を見たかったわけではない。
もっと深いところで、何かを壊したくて、ほどきたくて、ここに来たのだと思う。
最初に選んだのは、自分を壊せる場所だった

エチオピアに来た理由をうまく説明できたことは、一度もない。
ただ、世界地図を広げたとき、他のどこよりも強く視線が引き寄せられた。
アフリカの東、地図の余白のような場所。その奥に、私の知らない風景がある気がした。
わかりやすい絶景や、便利な観光地ではなかった。
でも、今回の旅に必要だったのは、安心や快適さじゃなかった。
むしろ、自分の中にある「正しさ」を一度ぶち壊してくれるような場所を、無意識に探していたのかもしれない。
ルートも、計画も、順番も、本当はどうでもよかった。
どこかのタイミングで、自分の輪郭を揺らしてくれるような経験が欲しかった。
そしてそれは、この場所だった。
火口へ向かう夜、地球と対話が始まった

火口へ向かう日は、夕方に軽く休憩を取ってから、真夜中の出発に備える。はずだったが、航空機のトラブルでベースキャンプについたのはすでに夜だった。
だが、私の中ではすでに何かが静かに動き始めていた。
この夜を越えたとき、自分の感覚は変わっているかもしれない。そんな期待があった。
真夜中の出発と、静かすぎる溶岩原
午後11時。ヘッドライトをつけ、ガイドに続いて一歩ずつ歩き始める。
目的地は、活火山・エルタアレの火口。かつて噴き上がっていたマグマの名残が、今も火を灯しているという。
足元は黒い溶岩で覆われ、音がない。
風も止まり、誰も喋らない。
視界はヘッドライトの範囲だけ。世界が自分の歩幅と同じ速度でしか進まない。
この感覚が、思いのほか心地よかった。
火口の前で、説明不能のエネルギーに包まれる

歩き始めて1時間。真っ黒な空の奥で、うっすらと赤い煙が揺れていた。
近づくにつれ、焦げた硫黄のような匂いが鼻を刺す。
やがて火口に着いた。縁まで行くと、下からオレンジの光が脈打つように浮かび上がっていた。
見下ろすと、そこにマグマが「生きている」のがわかった。
絶えず動き、時折バチッと破裂音のような音を立てる。
それは「美しい」でも「怖い」でもなく、ただ、言葉が追いつかない光景だった。
私はその前で、立ちすくむしかなかった。自分の思考が分解されていくような感覚があった。
ここは、風景を「見る場所」ではない。
地球と、自分の存在とが、同じリズムで呼吸していることを、ただ感じる場所だった。
眠れない夜、眠ることすら惜しい夜

火口を見下ろしたあと、テントもない黒い大地の上で夜を過ごす。
体は疲れているのに、まったく眠気がこない。
この空間に浸っていたくて、眠ることすら惜しいと思った。
ただ、地面に横たわり、夜と一緒に呼吸していた。
地面の上で、夜と自分が一体化する感覚
火口までは少し距離がある。しかし目を閉じても、まぶたの裏に赤い揺らぎが残っている。
空には満天の星。下には、動き続けるマグマ。
宇宙と地球のあいだに、自分の体がただ置かれている感覚だった。
誰とも話さず、スマホも開かず、思考さえも止まっていく。
ただ、夜が夜であることを感じていた。
その静けさの中で、自分が夜の一部になったような気さえした。
時間の感覚が消えていく。
世界が少しずつ、自分の輪郭を溶かしていった。
この風景の中で、自分がほどけていく
ダナキルに来る前の私は、計画を立て、合理的に動くことに慣れすぎていた。
無駄を排除し、成果を求め、失敗を避ける。
でも、この夜の中では、そうした自分の型が少しずつほどけていったような気がした。
火山の音も、星の瞬きも、風の音も、すべてが同じリズムで重なっている。
そこに正解も意味もいらなかった。
私は、ようやく旅を始められた気がした。
何かを「得た」からではない。
何かが少しだけ「壊れた」からだ。
塩の湖に浮かびながら、境界線が消えていく

翌日、私たちはアサレ湖へ向かった。
地平線まで白く光る塩の大地。その一部に、水が溜まった鏡のような場所があった。
私はそこで、静かに水の中へと入っていった。
体がぷかりと浮かぶ。まるで、重力を忘れてしまったようだった。
その瞬間、何かがふっとほどけた。
昨日まで張り詰めていた意識が、ここで一気に溶け出していくのがわかった。
鏡面に溶ける空と、自分の輪郭の喪失

空と湖の境界が消えていた。
足元の水面が、頭上の雲とまったく同じ色と形で揺れている。
どこまでが現実で、どこからが反射なのか、自分の目が信じられなかった。
私はその湖面の中で、自分の存在の輪郭までもがあいまいになっていくのを感じていた。
「ここにいる」という感覚さえも、ただの思い込みのように思えた。
風がやみ、世界が静止した。
塩の粒が肌に触れているのがわかるのに、それさえ夢のようだった。
砂漠のなかの、静かなオアシス

アサレ湖には不思議な穏やかさがあった。
焼けつくような日差しと、塩のきらめき。にもかかわらず、心はとても静かだった。
地面は結晶化した塩で覆われている。だが、その上を歩くときの感触は、どこか柔らかい。
どこまでも続く乾いた白が、目の奥まで静けさを染み込ませてくるようだった。
その真ん中に座って、目を閉じた。
何も求めない時間が、こんなにも豊かに感じられるとは思わなかった。
時計も言葉も、もう必要ではなかった。
アサレ湖にいた数時間は、旅の中でも特別だった。
あの時、私は旅をしていたというより、ただ存在していた。
動くことをやめたその時間に、私は何かを取り戻していた。
それが何かは、まだうまく言葉にできないけれど。
色彩の爆発、論理を拒む地熱の世界

ダナキル砂漠の最終日、私たちはダロル火山を訪れた。
そこには、これまで見たどの風景とも異なる、説明不能な世界が広がっていた。
赤、黄、緑、青――自然がこんな色を作るのかと思うような、鮮やかで不自然な光景。
毒々しい、けれど目が離せない。
この場所では、地球が「論理ではなく感覚で見るものだ」と語りかけてくるようだった。
鉱物がむき出しになる地球の内側
足元の地面はボコボコと盛り上がり、いたるところに結晶が浮き出ていた。
塩、硫黄、鉄。鉱物が地表を突き破るように現れ、まるで地球の内側があらわになっているようだった。
熱と化学反応が作り出した奇妙な地形。
触れることもできない毒性の池や、色が変わる噴出口。
ここは「見学する場所」ではなく、「異物として体が感じてしまう場所」だった。
宇宙のどこかの違う惑星を、私は見ているような気がした。
それは、どこか自分自身にも通じていた。
トリプルジャンクションという歪みの地点
この一帯は、アフリカ・アラビア・ソマリアの三つのプレートがぶつかる場所にあたるという。
プレートが引き裂かれ、地面が裂け、地熱が噴き出す。
それはまさに、地球が「ずれ」や「歪み」を抱えたまま存在している証だった。
均衡ではなく、不安定さがこの場所を形作っていた。
私はその話を聞きながら、自分の中にも「ずれ」や「歪み」があることを思い出していた。
整わないことを責めるのではなく、その不安定さのまま、ただここにいていい。
そう言われているような気がした。
この場所が見せた説明を拒む美しさ

この風景は、あまりにも強烈すぎた。
理屈では理解できないもの。
分類できない感覚。
そういうものが、確かに世界には存在している。
この地熱地帯は、それを思い出させてくれる場所だった。
私たちはつい、意味を求めすぎる。整った形や納得できる言葉に変えようとしてしまう。
でもこの風景は、そうしたすべてを拒絶していた。
「ただ、感じればいい」とでも言うように。
まとめ|私はこの場所で、旅を始めた

ダナキル砂漠での3日間は、ただ風景を見てまわるだけの旅ではなかった。
火口の前に立ち、塩の湖に浮かび、毒々しい大地を歩いた。
そのどれもが、少しずつ自分の感覚に余白をつくってくれた。
何かが大きく変わったわけじゃない。
けれど、それまでの自分の歩き方を、そっと横から問い直されるような時間だった。
この旅は、変わるためではなく、ほどいてみるための時間だった
旅に出る前の私は、頭の中で物事を整理しすぎていた。
意味を求め、理由を説明できるように構えていた。
けれど、この場所では、そうした構えが次第にほぐれていった。
火口の音や、塩のまぶしさや、地熱のにおいが、言葉にならない感覚として染み込んでくる。
何かを得ようとするより、ただ、まといすぎたものをほどいてみる。
この旅は、そんな時間だった。
正しさの外に立つことで、ようやく問いが動き始めた
これまで私は、「正しく選ぶ」ことに意識を向けていた。
失敗しないように、間違わないように、計画を立ててきた。
でも、ダナキルの風景の中では、そうした正しさの軸がうまく機能しなかった。
火山も、湖も、地熱地帯も、どこか歪んでいて、不安定で、説明ができない。
けれど、その不安定さのなかにこそ、問いが動き始める手ごたえがあった。
私は「何が正しいか」を探すことを、少しだけやめてみた。
そうしたとき、自分の奥のほうで眠っていた問いが、静かに目を覚ました。
旅が「移動」ではなく、「問い直す時間」になるとき
飛行機に乗って、国を移動するだけでは、旅にはならない。
世界遺産を巡るだけでも、それは移動の延長にすぎない。
けれど、ときどき、自分の内側に小さな揺れが起きることがある。
このままでいいのか。なぜ、ここに来たのか。
そうした問いが、ふと湧いてくる。
私にとって、ダナキル砂漠は、そういう場所だった。
塩と炎と毒の土地。
そこで私は、何かを劇的に変えたわけじゃない。
ただ、自分の中にあった輪郭が、少しだけ揺らいだ。
その揺れはまだ続いている。
でもそれでいいと思っている。
旅は、そうした問いと一緒に進んでいくものなのかもしれない。