トラブルと交渉、エチオピアのツアーで起きた本当のこと

エチオピアのダナキル砂漠に向かう道

旅先でのトラブルは、できれば避けたいもの。

けれど、それが現地の人との関係を変えることもある。そう感じさせられたのが、エチオピアでの体験だった。

飛行機の欠航に始まり、ツアー会社とのすれ違い、言い争い、そして予期せぬ展開の連続。
旅の途中では、怒りや戸惑いもあった。

それでも、最後に残ったのは、不思議なほどあたたかい感情だった。
言葉の壁を越えて、お互いの気持ちが見えた瞬間もあったと思う。

これは、私がエチオピアで出会った、すこし風変わりで、でも確かに人間味あふれた旅の記録です。

旅の歯車が狂いはじめた朝

エチオピアのアディスアベバ空港

旅は、予定通りに進むとは限らない。
でも、このときばかりは、そんな言葉では割り切れないほどの混乱があった。

いままでにも海外での飛行機の遅延や欠航に直面したことはあり、それだけなら海外旅行保険を適用して費用をおさえつつ、予定の調整をするだけ。
しかし、今回はそんな簡単な話ではなかった。

アディスアベバの空港に到着した朝7時。
私は、これから始まるダナキル砂漠のツアーに胸を高鳴らせていた。

ところが、その期待はわずか数分で霧散する。

空港で突きつけられた現実

WhatsAppに届いた1通のメッセージ。見覚えのない名前の人物から、15時発の航空券が一方的に送られてきた。

状況がつかめず、それまでやり取りをしていた男性スタッフにすぐ連絡を取ったが、返事はない。
空港のスタッフに確認して初めて、予約していた朝のフライトが欠航になったと知らされた。

しばらくして、新しく対応を引き継いだ女性スタッフから説明が届く。
「朝の便がキャンセルになったため、午後の便に振り替えました。ツアーはそのまま予定通り進行します。」

いや、そうはいかない。
これから向かうのは、気温50度を超える灼熱地帯。「地上で最も過酷な場所」だ。
移動が8時間遅れるのに、「予定通り」とはどういうことなのか。説明もフォローも一切ないまま、ただこのまま行けという空気。

たった一通のメッセージで、ツアー会社への信頼は大きく揺らいだ。

予定を取り戻すための交渉

飛行機の欠航と、唐突な午後便への変更。
旅のスタートからつまずき、私はすぐにツアー会社に対して再調整を求めた。

このまま午後の便で出発しても、初日の行程はどう考えても成り立たない。
それならばと、私は二つの提案を出した。

・ツアーを4日間に延長し、初日は移動のみにすること
・翌朝のフライトに振り替え、翌日から3日間で実施すること

この時点では、旅全体が崩れるかもしれないという不安も大きく、冷静にやり取りするのが精一杯だった。
初日から交渉するという状況に、正直、疲労感すら覚えていたのをよく覚えている。

最終的に出された回答は、「15時の便で移動し、ツアーは翌日から行い、全4日間にする」という内容。
話が通じたのか、妥協されたのか。完全には納得できないまま、それでも状況を前に進めるしかなかった。

疑念と怒りを超えてたどり着いた絶景

エチオピアのセメラ空港

そうして私は、その日の午後、セメラ空港へ向けて飛び立つことになった。
トラブルは収束したように見えた。けれど本当の意味での「旅の調整」は、ここから始まった。

セメラに到着したその日、私には翌朝からツアーが始まるという認識があった。
ところが、現地のガイドやドライバーに空港出口で出迎えられると、まさかの展開が待ってた。

すぐに車に乗せられ、砂漠に向けて移動。
そのまま深夜にアルタアレ火山の火口へ向けたトレッキングが始まったのだ。

過酷な砂漠で感じたもの

気温は40度を超え、足元は暗闇に包まれた溶岩台地。
移動直後にそのまま極限環境に突入するなど、想定すらしていなかった。

私はこのとき、ひとつの疑念が頭をよぎった。
「これは、本当に4日間のツアーなのか? 実は3日間に短縮されたのでは?」

もちろん、現地には電波も届かず、ツアー会社の担当者に連絡する手段もない。
もやもやした気持ちを抱えながらも、私を支えてくれたのは、現地のガイドとドライバーの人柄だった。

彼らは終始穏やかで、道中も常に気遣いを見せてくれた。
過酷な環境とは裏腹に、その時間そのものは、信じがたいほど美しく、静かなものだった。

灼熱の火口を前にして感じたのは、怒りでも戸惑いでもなく、
「それでも来てよかった」と思えるような、不思議な納得感だった。

行程への不安と確認

3日目の昼過ぎ、ツアーの拠点であるメケレの街に到着した。
ようやくスマートフォンが通信圏内に入り、ツアー会社へ連絡ができた。

この時点で、私にはまだ疑念が残っていた。
深夜の火口トレッキングに始まり、過密な行程を終えた今、
「本当にこのツアーは4日間なのか、それとも3日間に短縮されたのか」。

不安を伝えると、返ってきたのは明確な回答だった。
「明日、ティグレの断崖教会へご案内します」
それは私にとって、最も行きたかった場所のひとつだった。

最終日に見た断崖の教会

そして迎えたツアー最終日。
ジグザグの未舗装路を車で走り、さらに断崖の岩肌をよじ登るようにしてたどり着いた教会。
その場に立った瞬間、私はすべての疑念を忘れていました。

眼下に広がる大地と、断崖に刻まれた小さな礼拝堂。
信じがたい場所に、何世紀もの祈りが息づいている。
そんな空間に身を置いたとき、私は心の底から「来てよかった」と思えた。

この日の体験を前にしたら、それまでに起きたトラブルの数々なんて、もうどうでもいいと思えた。

ラリベラをめぐる再びの交渉

エチオピアの首都アディスアベバの雨の日の街並み

ダナキル砂漠とティグレ教会の旅を終えて、私は次の目的地、ラリベラのツアーについて問い合わせた。
しかし、送られてきた行程表を見て、目を疑った。

「これは、あの男性スタッフと話していたプランとまるで違う…。」

さらにさかのぼれば、ツアー開始前に参加したアディスアベバの市内観光も、当初の彼の説明とは異なる内容だった。
お昼が付く予定が付かなかったという程度の違いだったので、そのままにしておいたが、もはや放っておけない。

メケレ空港から帰りの便の出発手続きをしながら、いま対応を引き継いでいる女性スタッフと連絡を取るも、すれ違う主張。
やりとりはエスカレートし、ついには電話で30分近く、声を荒げて議論を交わすことになった。
そして、電話では話の結論が出ず、直接話し合うことになった。

対立の果てに届いた提案

答えは出ないまま、アディスアベバに着いた私は、そのままツアー会社のオフィスへ。
オフィスで待っていたのは、社長と連絡を引き継いでいた女性スタッフだった。

この社長とは、ツアーが始まる前にアディスアベバの街で昼ごはんやカフェ、バーでのビールをごちそうになっていた。
その時から、気さくで面倒見のいい人だと感じていた。

ふたりと顔を合わせて、世間話からダナキル砂漠やティグレ教会のツアーについて話しあう。
数時間前に電話では激しく議論を交わしていた女性スタッフと私だが、直接会うとなぜかお互い穏やかな話になる。
そんな挨拶のような会話を終えて、本題に入る。

そして、社長からの思いがけない提案に私は驚かされた。
「ラリベラの行程は、希望通りの内容に修正。」
「さらに50ドルの割引も加えられ、市内ツアーについても別日で追加開催する。」

ぶつかって、ぶつかって、それでも話し続けていれば、異国だろうが異文化だろうが、どこかで通じ合えるのかもしれない。
そんな希望が、心のどこかにあった。
しかし、想定をはるかに超えることになるとは思ってもいなかった。

市内ツアーで感じた細やかな心遣い

私の心に強く残っているのは、トラブル発生後からやりとりを重ねてきたあの女性スタッフだ。
電話で激しく言い争ったこともあったが、関係は少しずつ、そして確実に変化していった。

とくに印象的だったのは、別日に実施されたアディスアベバの市内ツアー。
その日は彼女にとって本来、休日のはずだった。
それでも「今からドライバーがホテルに向かいます」「楽しめていますか?」と、メッセージが続々と届いた。

実はこの市内ツアーは、グループではなくプライベートツアーに変更されていた。
「すでに一度参加しているから、グループツアーだと行程が重なってしまう。
せっかくなら、アディスアベバのもっといろいろな場所を巡ってほしい。」

――それは、彼女なりの粋なはからいだった。

壊れた計画がくれた、思いがけない贈り物

エチオピアのアディスアベバの虹がかかった街並み

二度目の市内ツアーも満喫し、ラリベラ観光の準備も整い、いよいよ出発。
……のはずが、ここでまたしても思わぬトラブルが発生する。

前日の夜、「フライトがキャンセルされた」との連絡。
理由は悪天候による欠航だった。翌日以降の振替便も検討したが、私の出国スケジュールには間に合わず、この時点でラリベラ行きは断念せざるをえなかった。

ラリベラは、私にとってこの旅のハイライトになるはずだった。ダナキル砂漠やティグレ教会と並んで、どうしても訪れたかった場所。そのために、日程も資金も工夫し、心待ちにしていた。
だからこそ、「フライトキャンセル」の文字を見た瞬間は、呆然とした。体のどこかがふっと抜けるような感覚だった。ようやく旅が整ってきたと思っていた矢先だったからだ。

ツアー会社からは、ラリベラツアーのキャンセルも可能だが、代替案として他の観光地へのツアーを無料で手配できるという提案があった。
夜も遅い時間だったにもかかわらず、彼女は複数の代替ツアー候補を丁寧に説明してくれた。

それでも、ラリベラと肩を並べるほど心惹かれる場所は、どうしても見つからなかった。

消えたのは予定、残ったのはつながり

私は正直に伝えることにした。
「代替ツアーは辞退します。もし準備費用やホテル代などの使用済みの費用を差し引いた上で、フライト代などの返金があれば、その一部は返していただけると助かります」と。

この時、私はもう交渉するつもりはなかった。むしろ、これまでの誠実な対応に応えるように、静かに気持ちを伝えたかった。

彼女の行動を思い返せば、どれだけこの旅に寄り添ってくれたかは明らかだった。単にツアーを手配するだけでなく、その言葉やタイミングの一つひとつに、心遣いがあったように思う。

翌日、ツアー会社のオフィスを訪ねると、思いがけない返答が待っていた。
「航空券代100ドルのうち50ドルを返金(※航空会社のキャンセル料50%)、そのほかの費用USD300はすべて返金。そして、アディスアベバ滞在中のホテル5泊分を無料で提供します。」(※こちらの都合で最初の予定からすでに日程を変更していたため、通常の欠航によるキャンセルとは扱いが異なる。)

いくらかの返金は予想していたが、想像を大きく超える対応に、ただ驚いた。

私は受け取った返金のうち100ドルをその場で返した。返金を“返金”するという、奇妙な展開に彼女も驚いていた。
それにくわえて、彼女に感謝の気持ちとチップを渡し、不在だった社長にも同額を包んだ。
「また飲みに連れて行ってください」と、社長への言伝も添えて。

遠回りの先で手にした、ほんとうの贈り物

最初は、うまくいかない旅だと思っていた。トラブルが多く、計画通りに進まないことばかりだった。でも、振り返ってみると、うまくいかなかったからこそ出会えた人がいて、交わすことができた言葉があった。

人との関係は、完璧な予定よりも、ずれや軋みの中でこそ育つものなのかもしれない。

一度は激しく対立し、ぶつかり合った相手と、最後には固く握手しながら、「ありがとう」と心から言い合えるようになっていた。

それが、この旅で手にした何よりの贈り物だった。

旅の中で起きた数々の予定外。
そのすべてが、気づけば忘れがたい思い出になっていた。

10日前、WhatsAppに届いた変更通知を見たときの私は「最悪の旅が始まった」と思っていた。同じスマホ画面を、今日は感謝のメッセージで埋め尽くしている。

地図のある人生と、まっすぐじゃない道と

この旅を始める前、私の生活は整っていた。
自分で組み立てた仕事、心地よいリズム、計画通りに進んでいく毎日。

そんな日々には確かに安心がある。効率もあるし、成果も見える。
ときに旅先で出会った人たちにその話をすると、うらやましがられることさえあった。

でも、エチオピアで予定が狂いっぱなしの旅をしてみて思った。
予定が崩れるとき、どこかで少しワクワクしている自分がいた。

決まっていた予定が崩れたからこそ、思いがけない会話が生まれ、ぶつかり合い、やがて笑い合う瞬間が訪れた。

そう考えると、人生にもそんな「まっすぐじゃない道」があっていいのかもしれない。

地図通りに進む人生にも美しさがある。
でも、ときどき立ち止まりながら、迷いながら進む道の上にも、想像を超える出会いや、自分でも知らなかった感情が待っていることがある。

それが、ただの失敗ではなく、忘れられない時間になっていくのだとしたら──

私はこれからも、ときどき「まっすぐじゃない道」を選んでみたいと思う。